「Dream Chain 〜子ども達に夢を〜」
宮城県ゆかりのアーティストが結成した
「みやぎびっきの会」が
「子供たちに夢を与えたい」「県内小中学校の楽器修復費用を寄付したい」を合言葉に始めた
チャリティコンサートプロジェクト。
「びっき」とは、東北地方の方言でカエルを意味する言葉です。
アーティストたちが、自分を育ててくれた故郷への
【恩返し】や故郷に
【帰る】、またリペア(修理)した楽器が元に
【返る】などの意味を重ねて命名されました。未来へ羽ばたく
「おたまじゃくし」を育てようとの気持ちも込められています。
2005年より開催している
コンサートの収益金は、
宮城県内の小中学校の音楽サークルに寄付され、
楽器のリペアなどに充てられています。
2011年も例年同様開催予定でしたが、2011.3.11東日本大震災により第6回ドリーム・チェーンは延期を余儀なくされましたが、2012.2.25に延期公演が開催されました。
みやぎびっきの会 誕生秘話…
六本木の地下の居酒屋でした。何年前だろうか…、4月のある宵でした。宮城出身のアーティスト会…なんていう集まりがある訳じゃありません、5人でお酒を飲んで談笑。それだけが目的でした。夜も更け、酔いも深まる中で「『オレ達宮城が好きなんだよな!コンサート』『やっぱ宮城がいいよな!コンサート』…みたいなものをさ、宮城で、ふるさとでやろうよ!」と口を開いたのは雅俊さんだった。その前年の暮れ、チャリティーコンサートに出演し、心熱くしたという稲垣さんが「チャリティー…っていうのは?」と投げかけた、誰にも異論は無い。小柴クンも、モコも笑顔だ。それで心は決まった…
さとう宗幸
(DreamChain♪2005パンフレットより一部抜粋)
【お知らせ】
みやぎびっきの会の重要な一員として、2005年の結成時から共に活動してまいりました中村雅俊さんが、生まれ育った女川町の復興に特化した活動に専念したいとの意向から、このたび、会を離れることになりましたので、ここに謹んでご報告いたします。
2011年3月11日に発生しました、東日本大震災と大津波により、中村さんの故郷である宮城県牡鹿郡女川町の被害は甚大なものとなりました。
死者・行方不明者915名(3月7日現在)、町の中心部のほとんどが失われた状態は、一年経った今でも変わらず、先日の女川町でおこなわれた一周忌追悼式に参列したびっきの会メンバー全員がその様子を目の当たりにし、言葉を失い、復興への道のりは遠く険しいものであることを実感いたしました。
震災が起きた直後に、中村さんから、ふるさと女川の復興のために これからの自分の後半生をかけていきたい。そのために、みやぎびっきの会の活動に対し、中途半端な臨み方になるのは自分の本意ではない。よって、一つの気持ちの区切りとして、びっきの会を離れたいという趣旨の申し出を受けておりました。
昨年の震災によって延期となっていた仙台でのドリームチェーンコンサートが
2012年2月25日に無事終了したこともあり、正式にお知らせさせていただきます。
中村さんが みやぎびっきの会から離れることは、会として、大変残念なことです。
しかしながら、今後の活動の臨み方は違うとしても、ふるさとを大事に思う心、ふるさとに自分の出来ることをやっていきたいという思いは、中村雅俊さんと私共のそれは 全く変わらないものだと確信しております。
今後も、様々な機会で共に助けあいながら被災地復興に尽力して参りたく、
皆様の尚一層のお力添えを心よりお願いする次第です。
どうぞ よろしくお願い申し上げます。
2012年3月14日
みやぎびっきの会
さとう宗幸 稲垣潤一 小柴大造 遊佐未森 かの香織 山寺宏一 小川もこ